1993年5月15日。Jリーグは、川淵三郎初代チェアマンの力強い開会宣言で幕を開けました。
まだ改装前のサッカーの聖地・国立競技場は、約60000人の大観衆の熱気と興奮に包まれていました。
開幕戦の対戦カードは当時の2強と呼ばれた黄金カード『ヴェルディ川崎対横浜マリノス』
今でも当時のダイジェスト映像が流され、記憶に残っている方も多いのではないでしょうか。
そんなJリーグは今年の5月15日で30周年を迎えます。
日本サッカー界の発展とJの歴史をみんカジ流に振り返ってみましょう。
日本サッカー界の夜明け・初めてのプロサッカーリーグ誕生まで
80年代から90年代の初頭、日本サッカーの将来を司る日本サッカー協会は、日本にサッカーをもっと広めようと、デットマール・クラマーやセルジオ越後などの指導の元、共に全国行脚しサッカーの布教活動に努めていました。
「サッカー楽しいヨ。お金なくてもボール1つでみんなで遊べるヨ。」
年間を通じて100以上の小学校を回ってはサッカースクールを開催し続けますが、日本にサッカーが定着することは簡単ではありませんでした。
また、当時の主要スポーツといえばプロ野球、相撲、マラソンばかり。
サッカーがテレビ放送されるのは、正月の風物詩である高校サッカー選手権の時だけ注目される程度です。
日本のテレビのスポーツでは『野球』や『ボクシング』など、アメリカで流行のスポーツに注目される事が多かったのかもしれません。
サッカー番組といえば、テレビ東京のダイヤモンドサッカー程度で、当時のサッカーはまだまだマイナースポーツでした。
キッズを突き動かした伝説のサッカー書物
しかし、ついにサッカーが日の目を浴びる時がやってきます。
それは、
「キャプテン翼」
そうです。
あの高橋陽一大先生による日本が世界に誇る伝説のMANGA「キャプテン翼」です。
全てのサッカー少年のバイブルとも言える書物が、一人のファンタジスタの足ではなく手によって生み出され、ついに日本で一大サッカーブームが巻き起こることになります。
当時のキッズたちは、野球を選ぶか、サッカーを選ぶかで喧嘩となり、友情に亀裂が入るほどでした。
しかし、あの翼くんの有名なセリフが世界をひっくり返します。
「ボールはともだち。日本をW杯で優勝させる(ドン!)」
あの天下の大号令とも言える宣言を真に受け、日本国中のキッズの心に稲妻が走り、野球ボールを投げ捨て夢中でサッカーボールを追いかけるようになりました。
この期を境に、サッカー好きの父親は『世界へ羽ばたいてもらいたい』『優れたサッカー選手になってもらいたい』という実現できなかった自身の想いを託し、自分のキッズに「翼」や「太郎」「小次郎」といった名前を名付けることとなります。
1993 恋をした
そして1993年5月15日。時は熟しました。
Jリーグは、川淵三郎初代チェアマンの力強い開会宣言で幕を開けたのです。
同時に行われたオープニングセレモニーの演奏では、classの「夏の日の1993」ではなく、TUBEのギタリスト春畑道哉による「J’S THEME」でした。
開幕の対戦カードはサッカーファンなら誰でも知っている『ヴェルディ川崎対横浜マリノス』。
ヴェルディ川崎の助っ人外国人であるへニー・マイヤー(オランダ)のゴールがJリーグ第1号となるゴールを突き刺すと、その後は横浜マリノスの黒豹ラモン・ディアス(アルゼンチン)の得意の左足による個人技を魅せつけたり。。
あれから30年の時が経ったのかと思うと胸熱です。
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Jリーグのクラブチーム紹介
1995年開幕当時のJリーグは10チーム制のリーグ戦として始まりました。
プロのサッカークラブとして基準を満たしているのに、Jリーグの10チームに入る事ができなかった『ジュビロ磐田』などは、2年目以降にJリーグへ昇格となります。
開幕当時の10クラブ『オリジナル10』
ちなみにJリーグ開幕当時の10クラブのことを『オリジナル10』と呼んだりしています。
Jリーグ30年の歴史の中で、J2降格の経験がなく、常にJ1リーグに君臨しているクラブチームは鹿島アントラーズと横浜マリノスの2クラブのみです。
鹿島と横浜FMは、この30年間で『常勝軍団』と呼ばれる日本を代表するクラブチームへと成長を成し遂げました。
この2クラブがJリーグ開幕時から築き上げている
『30年間ずっとJ1リーグ(#30YZJ1)』
この偉業と功績に敵うものはありません。
強いクラブチームを維持・継続し続けることは、スポンサーの資金力、ホームタウンの認知度、育成など大変なのです。
30年前には存在しなかった新クラブチームも注目
注目の新クラブチームも増えました。
日本国内トップの資金力を武器に、読売巨人軍のようにスター選手ばかりを集めるヴィッセル神戸(楽天)。
同じIT企業のスポンサーだが運営体制が全く異なる町田ゼルビア(サイバーエージェント)は、今季から青森山田高校の名将監督をサプライズ採用。
J3ではあるが今節終了時点でトップ快走中で、まさにリアルサカつく状態といったところです。
そして、高橋陽一大先生が描き続けてきた、あの想像上のサッカークラブが現実となります。
東京都の葛飾区になんと『南葛S.C』が誕生したのです。
現在、南葛S.Cは、関東リーグ1部のカテゴリに所属しており、J3リーグへの昇格を目指しています。
現在Jリーグに加盟しているクラブは全60チーム
Jリーグ開幕当時はたったの10チームでしたが、現在Jリーグは3部リーグ構成となっており、J1は18チーム、J2は22チーム、J3は20チームで行われています。
22-23シーズンのJリーグ参加クラブは下記の通り。
J1クラブ 18チーム
- 北海道コンサドーレ札幌
レオファンがスポンサー - 浦和レッズ
- FC東京
- 横浜F・マリノス
最強 - 湘南ベルマーレ
- 名古屋グランパス
- ガンバ大阪
- ヴィッセル神戸
- アビスパ福岡
- 鹿島アントラーズ
最強 - 柏レイソル
- 川崎フロンターレ
- 横浜FC
- アルビレックス新潟
- 京都サンガF.C.
- セレッソ大阪
- サンフレッチェ広島
- サガン鳥栖
J2クラブ 22チーム
- ベガルタ仙台
- モンテディオ山形
- 水戸ホーリーホック
- ザスパクサツ群馬
- ジェフユナイテッド千葉
- FC町田ゼルビア
- ツエーゲン金沢
- ジュビロ磐田
- ファジアーノ岡山
- 徳島ヴォルティス
- ロアッソ熊本
- ブラウブリッツ秋田
- いわきFC
- 栃木SC
- 大宮アルディージャ
- 東京ヴェルディ
- ヴァンフォーレ甲府
- 清水エスパルス
- 藤枝MYFC
- レノファ山口FC
- V・ファーレン長崎
- 大分トリニータ
J3クラブ 20チーム
- ヴァンラーレ八戸
- 福島ユナイテッドFC
- SC相模原
- AC長野パルセイロ
- アスルクラロ沼津
- FC大阪
- ガイナーレ鳥取
- 愛媛FC
- ギラヴァンツ北九州
- 鹿児島ユナイテッドFC
- いわてグルージャ盛岡
- Y.S.C.C.横浜
- 松本山雅FC
- カターレ富山
- FC岐阜
- 奈良クラブ
- カマタマーレ讃岐
- FC今治
- テゲバジャーロ宮崎
- FC琉球
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30年経った今でも現役の日本人サッカー選手
Jリーグ開幕の1993年から現在まで現役でサッカーを続けている日本人プロサッカー選手は、みなさんご存知の元日本代表の三浦”KING”知良です。
カズことKING KAZUは、ヴェルディ川崎の不動の11番として、Jリーグ開幕戦にスタメン出場。
ゴールこそならなかったものの、ブラジル仕込みの個人技と派手なパフォーマンス、その輝かしい姿とオシャレなスパイラルヘアに当時のサッカー小僧は皆キングカズに憧れました。
そんなキングカズは今年2月の誕生日で56歳になられました。
プロ38年目にして、日本人史上最年長での海外挑戦として、ポルトガル2部リーグのオリベイレンセでプレーしています。
そして忘れてはならないもう一人の日本人プロサッカー選手が、伊東輝悦です。
あのマイアミの奇跡と呼ばれたアトランタオリンピック・グループリーグ初戦『ブラジル対日本』。
90分間で唯一のチャンスを逃さず、最後までボールを追いかけ続けた天才ゴールスコアラー。
伊東が決めたあのゴールこそが、日本サッカーを世界に知らしめた最初の軌跡と言っても過言ではありません。
現在は、Jリーグに加盟にするクラブチーム『アスルクラロ沼津』でプレーを続けており、最年長Jリーガーとして活躍をしています。
彼もサッカーの神様に愛された選手の一人で、何かの意図に操られるかのようにプレイを続けているとかいないとか。。
Jリーグ開幕当時から今でも現役の日本人プロサッカー選手は、キングカズと伊東輝悦の2名のみ。
彼らの冒険はいつまで続くのか。注目です。
Jをスキップして海外デビューする選手が当たり前に
時代は移り変わり、高校卒業後、Jリーグをスキップして海外クラブチームと契約する選手もたくさん増えてきました。
『2代目ボンバーヘッド』ことチェイス・アンリや、『シン・赤のゴールゲッター』こと福田師王は、Jリーグのクラブチームとは契約せず、独ブンデスリーガの強豪クラブチームといきなり契約をするなど、サッカー新時代の幕開けを予感させます。
日本サッカーとオンラインカジノ業界の繋がり
インターネットの普及とともにスポーツ番組の視聴スタイルが変わりました。
格闘技スポーツなどでは、Beebe, Stake, Betrnkなどのサイトロゴを多数見かけるようになりました。
サッカー中継についても、テレビの地上波からインターネット上のライブ放送になったせいか、ギャンブリング系のスポンサーが如実に台頭しています。
例えば、サッカーといえばDAZNでは、ベラジョンや優雅堂、ミスティーノが番組の公式メインスポンサーを担当していたり、TVコマーシャルで見かけることもチラホラ。
最近では、J1リーグ・コンサドーレ札幌の公式スポンサーとして、レオベガスと同じ運営の「レオファン」が契約しました。
毎節行われるコンサドーレ札幌の背中ユニフォームには、「レオファン」のロゴが掲載されています。
海外のサッカー界では、ギャンブリング系企業のスポンサーシップを規制する動きが活発化してきています。
日本国内のスポンサーシップは今後どうなるのでしょうか。
まとめ
みんカジが紹介する『Jリーグの軌跡と日本サッカーの歴史について』お楽しみいただけましたでしょうか。
文中、多少の脚色はあるかもしれませんが、この30年間でどれだけ急速に日本サッカーが発展してきたか、お分かりいただけたかと思います。
『アルシンドになっちゃうYO』とか『モネールでゴザール』など、
あの頃のJで生まれた流行語は、今の世代のキッズは知らないかもしれない。
ただ、そんなことはどうでも良いのです。
日本サッカーは、確実に強くなっている。
今後もみんカジでは、サッカーをはじめ様々なスポーツを取り上げていく予定です。どうぞお楽しみに!